ブスに生まれて

河合神社

 

 

こんにちは、riecoです。
 
 
私が自分がブスだと認識したのは、物心付きはじめた頃でした。
 
銭湯で会う度に「ほんとにお父さんそっくりねぇ」と
目尻を下げる優しいおばあちゃんは
父親似の女の子は将来幸せになると繰り返し言いましたっけ。
そう言ってあげないと
父親似の不細工な女の子が可哀想なんだそうな。
私は、将来の幸せなんかどうでもいいから
母親に似ていないことが、心から悲しかったのです。
 
 
面と向かってブスと揶揄われたのは小学2年生の時
1階の端っこの教室と給食室の間にある廊下で、男子から。
当時流行っていたスカートめくりをされながらの不快な瞬間
私は、一体どんな言葉を返したのだろう?
今となっては覚えてはいませんが
大きな声でハッキリ抗議できたのがよかったようでした。
虐めが表立ってエスカレートすることなく
無事に小学校を卒業できました。
 
 
中学校から高校卒業までは
ブス絡みで思い出したくないことばかり。
中高の6年間、合唱コンクールのピアノ伴奏を全曲務めたのは
全校生徒の前で舞台に立って
歌っている最中のブス顔を晒したくなかったから。
写真撮影と鏡が大嫌いでした。
 
この頃の思い出を大人になってからも抱えているのは
いい加減辛いだけだったから、綺麗さっぱり消し去りました。
その代償に、本当は持っていたかったものも捨てました。
 
 
 
 
自分らしく伸び伸びと過ごしたい。
 
たったそれだけのとても地味な夢が叶ったのは
18歳、専門学校に入学してからでした。
目をみて話す、聞く、そして相手を思いやる
当たり前のことができるクラスメートに恵まれて
私は、ブスから解放されていいのだ、と知りました。
他人のためにブスにされることもないし
自分を守るためにブスになる必要なんてないのだ、とも。
 
大学受験なんて絶対縁がない
大手企業への就職なんてありえない
個性的な連中ばかりが集まっているような学校でしたが
心から笑って、感動して泣いて過ごした日々があったから
今があるのだろうと思います。
 
 
 
 
 
その後就職し、30代半ばで退職するまで
折々に撮ってもらった写真が何枚か手元にあります。
撮影者に向けた楽しそうな表情の数々
この頃の肌艶を取り戻すことが
アラフィフの私の基本方針、というのは冗談ですが(無理)
最近、違う意味でのブス化がはじまりかけているので
ちょっと本気で頑張らなければなりません。
 
 
新しく大きな鏡を買って、スマホで自撮りをはじめました。
 
「見られている」職業の皆さんの老い方を参考に
心からの笑顔を、日々練習中です。
 
人間って変わるものなんですね、変わるものなんです、きっと。
 
 
それでは、また。
 
 
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